【東京(羽村市)】西東京在住時に足繁く通っていた街のゲーセン
【うろ覚えデータベース】
店名:ビッグチェリー羽村店
場所:JR 青梅線羽村駅 徒歩1~2分
閉店・閉鎖時期:2015年4月30日(こちらのサイトを参照しました→ビッグチェリー羽村店 - beatmania IIDX ゲームセンターマップ (2dera.net))
筆者が一時期西東京の某所に住んでいた頃、生活圏の中で当時一番
ハマっていた音ゲー関連の品ぞろえが良かったため足繁く通っていた
ゲーセンがありました。そちらが今回紹介する、JR青梅線の羽村駅前に
あった「ビッグチェリー羽村店」となります。
この店は本当に駅の出口から徒歩1~2分で着く場所にあり、羽村駅のホームからも見えていました。資金と時間に余裕があるときは青梅線で立川やさらにその先の都心部に、それ以外の平日の仕事帰りなどはこの店舗で遊ぶというのがパターンでした。当時流行していた音ゲーにも力は入れていたようで、コナミ主催の全国大会の予選を行ったりもしていたのを覚えています。
退職を機に西東京を離れたあともかなり頑張っていはいたようですが、それでも参考にしたサイトによると2015年で閉店してしまったそうなのでとても残念です。
現在は建物も建て替わったようでゲーセンがあったような面影は微塵も無くなっています。
【秋葉原】苦境に追い打ちをかけるウイルス禍
【うろ覚えデータベース】
店名:エターナルアミューズメントタワー(旧:トライアミューズメントタワー)
場所:JR 秋葉原駅 徒歩10分前後
閉店・閉鎖時期:2020年3月上旬(休業からそのまま閉店)
コロナ禍で出不精になった事を、自分への言い訳にしていたお陰でだいぶ更新が滞ってしまい申し訳ございませんでした。
ちょうど前回の記事を更新したあたりでヤベえんじゃないか言われていた新型コロナウイルスの影響はその後も順調に全国満遍なく大打撃を与えてしまい、特に今年下半期に各地で有名だったり全国区で名の知れていたゲーセンが次々とコロナウイルスの影響を主な理由とした閉店を発表しています。
その中でも「全国区で名の知れていたゲーセン」の中で先陣を切る形で閉店したのが秋葉原のエターナルアミューズメントタワー(旧:トライアミューズメントタワー)になります。
この店舗はかつて秋葉原でアーケードの中古基盤等を販売していたトライという会社が運営していたトライアミューズメントタワーが前身で、過去にも一度このブログで取り上げたことがあります。
この記事の後の2017年にトライが店舗営業から撤退し、(株)エターナルアミューズメントが運営権を取得して店名も「エターナルアミューズメントタワー」と変更されました。
しかしこのエターナルアミューズメント社も経営状況は芳しくは無かったようで、買収や出店費用を借入に頼っていたというバクチ的な姿勢が仇となったためか、コロナ禍による影響の第一波の時点で運営会社自体が詰んでしまったためにこの店も緊急事態宣言を受けての休業からそのまま閉店へとなってしまいました。(同社が運営していた他店舗も軒並み消滅しています)
上の写真は約4か月ほど前の写真ですが。看板などはほぼ残っていました。
先日訪れた際には旧看板の約半分が同ビルのガールズバー(?)の看板で埋められてました。そして店の前なのですが、最近の秋葉原を象徴するような「呼び込みのオネエチャンとそのバックにるヤクザだか半グレだかわからないオニイチャン」が店の前に陣取ってる時間帯でしたので物陰からの撮影となりました。このため、現在跡地にどんな店があるのかまでは確認が取れませんでした。
【川崎市】当時としてはゲームコーナーも充実していたボウリング場
【うろ覚えデータベース】
店名:京急川崎ボウル
場所:JR 南部線 川崎駅 徒歩10分以内、京浜急行 京急川崎駅 徒歩1分
閉店・閉鎖時期:1997年12月31日
1970年代から80年代後半にかけてのアーケードゲームの歴史において
個人的にですが、無視できない役割を果たしていたのではないか思うのが
ボウリング場のゲームコーナです。立地的に大型の店舗が多いことから、
個人経営のゲーセンではなかなか置けないような大型の筐体の揃えが
良かった事でゲーム目当てに行ったであろう少年が多かった故に、
当時の小中学校ではゲーセン諸共に「生徒の出入り禁止施設」に指定されていた
所も多々あったと思います。
そんな筆者も学生時代当時の仲間達と何度か足を運び、時には当初の目的で
あるボウリングそっちのけ寸前までゲームで遊んでいた記憶があるのが
今回紹介する「京急川崎ボウル」があった所です。
とあるボウリング愛好家さんのサイトで具体的な閉店時期を知ったのですが、
自分が社会人になったことで川崎方面に足が向かなくなってから割とすぐに
閉店してしまったようです。久しぶりに川崎駅に降りた時、以前紹介した
旧シルクハットとも場所が近かったので確認のために足を運んだら
ヨドバシの店舗になっていたのにちょっと驚きました。
建物の外観はボウリング場の頃の面影がかなり残っています。
写真左のヨドバシの看板のあたりが、ランドマークになっている大型のピンを
立てていた支柱になっていたと思います。
あと、写真では見づらいですが、中央あたりの窓に貼ってある看板に
「ガシャポン&ゲームコーナー」とあるんですが、実際入った訳ではないですが、
こういうところのゲームコーナーってたいていプライズマシンとキッズ向け
カードとかと連動するタイプのゲームくらいしか無い事が多いですよね。
【川崎市】2019年まで生き残っていた街のゲームショップ
【うろ覚えデータベース】
店名:シータショップ 溝の口店
場所:JR 南部線 武蔵溝ノ口駅・東急線 溝の口駅 徒歩5分以内
閉店・閉鎖時期:2019年3月24日
80年代のファミコンブーム以降、決して安いものではなかったゲームソフトの供給源として一定の役割を果たしていたゲームショップ。2000年代に入ってからはゲーム市場の変化と流通の問題で、個人経営や中小のチェーン店がバタバタと消えていきました。
そんな中で大半のゲームショップでは他事業との並行や非電源ゲーム(TCGなどのカードゲーム)の取り扱いで生き残りを図ってはいたものの、時流に抗えず消えていった店舗はゲーム好きの方ならよく目にしていたと思います。
そのなかでもつい昨年、2019まで生き残ってはいたもののついに閉店したのが川崎の溝の口を始め数店舗あった「シータショップ」となります。過去に書いたこの記事
この記事中にあった「これまた雑食性ゲーマーのオアシスとなっていた某ゲームショップ」が今回紹介する「シータショップ溝の口」になります。
こちらについて調べていると、溝の口を始めとした全てのシータショップが2019年3月頃に閉店していたとの事で、そのことを伝える記事が「湘南経済新聞」のサイトに残っていました。
https://shonan.keizai.biz/headline/2588/
以下、記事からの引用です。
運営元であるアプライドの室原克彦さんは「ゲーム業界全体の低迷に加え、パッケージ販売からダウンロード販売に切り替わっていくなどの流れもあり、藤沢店だけではなくシータショップ全店の閉店を決めた。年度内の閉店を目指したため、お客さまには急な案内となった。これまでご愛顧いただいたことを感謝したい」と話した。
現在も残存している溝の口店のTwitterアカウントからは閉店決定直前までゲーム大会等のイベントや情報発信を積極的に行っていた様子が伺い知れます。
そんなお店が閉店してからもうじき10ヶ月(※この記事作成時点)、店舗跡は居酒屋になっていました。
【東京】昔はオフィス街にもゲーセンが結構あったなんて、今、誰が信じてくれるだろう【飯田橋】
【うろ覚えデータベース】
店名:覚えていません(参考にしたサイトによればおそらく「FUJI」)
※ブログを拝見した方より「リリー」だったという指摘がありました。
匿名様、情報ありがとうございました。
閉店・閉鎖時期:不明(2000年代頃消滅)
都内のいわゆるオフィス街にも80年代のインベーダーブームによって多数のゲーセンがかつて存在していましたが、現在ではほぼ絶滅しています。今回ご紹介する飯田橋駅周辺では、現在は神楽坂でセガの直営店の1店舗のみ存在していますが。1990年代辺りまでは5店舗以上あったらしいです。
そんな中で今回自分が訪れたことがあったのが写真の建物中央の、現在はカラオケ店とパチ屋になっていた店舗です。当時は目立った看板が見当たらなかったので店名を覚えていなかったので参考にしたサイトによると「FUJI」という店名のようでした。
当時はビルの向かって左側のパチ屋の看板になってる部分が円筒形の螺旋階段になっているのが駅のホームから見えており、そこから更に店内の一部も見えているような状態でした。ただ、ホームからよく見えていたのはゲーム台よりも、同じ店内に置いてあったビリヤード台(これも自分が行った頃はビリヤードブームが過ぎ去った後だったような)だったのは記憶に残っています。
現在はご覧の通りで、店のあったフロアは確か2階でしたので現在はカラオケ店のそうです。そしてこのビルのすぐ隣はというと、
オサレエリアに再開発されてました。このビルは再開発から逃れられたのか、はたまたこのビルも再開発に飲み込まれる準備期間なのか、今はまだわかりません。
【東京】立川地区の音ゲーのメッカだった「立川オスロー5」
【うろ覚えデータベース】
店名:立川オスロー5
場所:JR 中央線ほか 立川駅徒歩5分程度
閉店・閉鎖時期:2017年8月31日
前回の取材で立川に訪れたのでもう一軒、立川のゲーセンとして近年まで一部の方達の
間で有名店だった「立川オスロー5」跡地にも立ち寄りました。
こちらは末期の頃は周辺のゲーセンよりも特に音ゲーの品揃えを重視していた事で
「音ゲーのメッカ」として音ゲー愛好家たちに親しまれていた店でした。
そんな「特化型」のゲーセンをもってしても色々厳しかったのか、運営母体(確かそもそもはバッティングセンター)の方針転換なのか、2017年の8月31日をもって閉店してしまいました。
閉店の瞬間の店の前は、閉店を惜しむ常連客の見守る中消灯されていた様子が当時の常連客のブログにありました。
(2021/2/21追記:該当のブログが非公開になっていましたのでリンクを外しました)
現在はご覧の通り複数の飲食店がある「駅前の一雑居ビル」と化していました。
【東京】倉庫のような佇まいに多数のゲームがひしめき合っていたゲーセン
【うろ覚えデータベース】
店名:不明
場所:JR 中央線ほか 立川駅徒歩3分程度
閉店・閉鎖時期:2000年代初頭辺り?
かつてはJR立川駅周辺にも多数のゲーセンなどがひしめきあっておりましたが、アーケードゲームの衰退と駅周辺の再開発によって往年のゲーセンの大半は消滅してしまいました。今回はその再開発期に消えていったゲーセンの一つです。
かつてこの一角のあたりに看板も見当たらない倉庫のような佇まいのゲーセンがありました。中に入ると多数の音ゲーやアストロ系筐体のアーケードゲームがひしめき合っていて、当時住んでいたところにゲーセンが足りなかった事からこのゲーセンや近隣の別店舗(このすぐ近くにゲームファンタジアやオスロー立川などがあった)に結構足を運んでいたものでした。
現在は再開発後で店舗どころか区画自体が当時の面影が消えているため、店舗の位置が写真の店舗とは若干ズレているかもしれません。
なお、今回の文中で登場したゲーセン「ゲームファンタジア」は現在「アドアーズ」に変わりながらも同じ場所に残っており、オスローは5号店が立川の音ゲーのメッカとしてその後しばらく残っていたのですが2017年に閉店してしまっています。