【川崎市】ゲーセン氷河期の訪れと共に消えた「中プラ」
【うろ覚えデータベース】
店名:「中央プラザ 武蔵中原店」
場所:JR南武線 武蔵中原駅の目と鼻の先
閉店・閉鎖時期:2000年代辺り?
ドラマ「ノーコン・キッド」の格ゲーブームの頃を取り扱った回で、他のゲーセンから主人公の経営するゲーセンに来たあんま態度のよろしくない客が、その店で一番「バーチャファイター2」が上手いと目された常連にこういって対戦を吹っ掛けます。
「池袋の中プラで頭張ってるアベちゃんです。」
東京圏の当時のゲーセン事情を知る方なら「中プラ」こと「中央プラザ」というゲーセンが東京近郊に数多く存在していたことを記憶している人も多いかと思います。(ちなみに上記のドラマの台詞に出て来る『池袋の中プラ』こと中央プラザ池袋店は実在しないとの事です)
その中央プラザの内の一店が今回の「中央プラザ 武蔵中原店」になります。
当時は写真のビルの二階に店舗があり窓から多数のアストロシティ筐体などが見え、店内には結構な数の格闘ゲームやシューティングゲームが置かれていた記憶があります。
この店も格闘ゲームブームの終焉とその後のゲーセン氷河期が到来したことで、他の数多くの中央プラザと共に消えてしまいました。現在は美容室として使用されている模様です。
【お願い】
筆者はあまり中央プラザに関して詳しくないので、中央プラザがゲーセン運営から撤退した正確な時期や、可能であれば取材に向かいたいので他の店舗の有った場所についてご存知の方がいらっしゃれば、特に何のお礼も出来ませんがコメントに情報を残していただけると助かります。
【東京】兵(つわもの)達が集った下町の戦場「荏原ゲームコーナー」
【うろ覚えデータベース】
店名:荏原ゲームコーナー
場所:東急大井町線・池上線 旗の台駅すぐ
閉店・閉鎖時期:2014年3月20日
かつて「GAMEST」や「マイコンBASICマガジン」などの雑誌上で
全国のゲームセンターの間でプレイヤーによるゲームのハイスコアを競う趣旨の
コーナーがありました。その中でも前述の2誌両方の集計対象店だった事も
あってか、品川区の下町にありながら全国的にも高い水準のスコアラーが
集い、その筋の愛好家を唸らせていたゲームセンターがありました。
その店が今回紹介する「荏原ゲームコーナー」でした。
私も一度、かつて所属していたゲーム系のサークルのメンバーとコミケで
合流し、二次会あるいはプチオフ会よろしく、都内の有名店に行こうという事で
訪れた事があります。
何というか、店の規模の割に色々と遊びたいゲームが豊富だった印象があります。
また、あの当時で既に絶滅の兆しが見えていた
「街のゲームセンター」でSEGA製のレースゲーム「アウトラン」の
純正大型筐体が稼働していたという点でも異彩を放っていたのを覚えています。
現在はご覧の通り、複数の飲食店の入ったビルになっていました。
この店はかつて『ゲームセンターCX』でも取り上げられていた事を思い出し、
DVDなどに収録されているかと思い探してみたのですが、
2013年4月11日放送の第157回で紹介されてはいるものの、
現在販売されているDVD等ではこの時の映像は未収録のようです。
取材自体は一ヶ月以上前だったのですが、取材時に訪問時の記憶が蘇り、
冬コミ開催中に併せて更新しようと思い立ちこの時期の更新となりました。
【横浜市】アーケードゲーム黄金期に存在していた大型ゲーセン
【うろ覚えデータベース】
店名:不明
場所:JR・京浜急行・相模鉄道・東急線他 横浜駅徒歩数分
閉店・閉鎖時期:不明
現地に足を運べていないので今回はGoogle マップのリンクです。
久しぶりの更新だというのにこのような体たらくで申し訳ございません。
横浜駅の相鉄口から少し歩いたところに80年代後半頃、大型のゲーセンが
ありました。当時は現在とビルの形状も異なっていて、白い壁の大型フロアに
道側がほぼ全面ガラス張り、大型体感ゲームやテーブル型筐体を多数
置いてあるのが外側からでも見える構造でした。加えて店の前は
ちょっとした広場なので、かなり目を引きやすいお店でした。
横浜方面はあまり足を運んでいないのでこの店の店名や何時から何時まで
存続していたのかは不明です。現在は付近にラウンドワンがあり、
規模だけで言えばゲーセンが死滅したわけではないのですが、
こういった場所にゲームがズラッと並んでいるのが通りからでも
ひと目で分かるようなロケーションというのは現在は殆ど見かけないような気が
します。
漫画に一コマだけ背景に出てきた溝の口駅前のゲーセン
【うろ覚えデータベース】
店名:確か「モンブラン」
場所:JR南武線 武蔵溝ノ口駅 東急田園都市線・大井町線 溝の口駅 駅前
閉店・閉鎖時期:1990年代
以前漫画「ハイスコアガール」で出てきた「川崎のゲーセン」のモデルと思しき店の跡地をご紹介しましたが、今回も漫画にちょっとだけちなんだお店です。
漫画家の一本木蛮さんが自らの体験をベースに、80年代のオタクたちの群像というか生態を描いた漫画「同人少女JB」という漫画があります。
この漫画の舞台も神奈川県の川崎市、それも溝の口界隈になっていて、作中所々に当時の溝の口付近の風景が描かれています。
この漫画の1巻52ページに描かれた溝の口駅前のコマに、TAITOのロゴをもじった「TAITANIA」という看板が見えます。この建物が当時存在したゲームセンター「モンブラン」です。
もうちょっと調べてみたらYoutubeの動画に在りし日の姿が一瞬だけ映ってる動画も見つかりました。
1992 登戸駅から長い散策散歩 Long Walkabout from Noborito Station 920531n
この動画の47:11あたりに一瞬だけ見きれています。
当時自分は近隣にもゲーセンが数件あり、品揃え的にも他店ばかり行ってたので、この店に入ったことは片手で足りる程度しか行ったことがありませんでした。
そうこうしているうちに駅前再開発の波が押し寄せてしまい、この店舗は消滅してしまいました。
現在はマルイが建っており当時の面影は跡形もありません。
【川崎】スーパーマーケットの店外区画にあったゲームコーナー跡
【うろ覚えデータベース】
店名:スーパー「マルエツ 武蔵新城店」
場所:JR南武線 武蔵新城駅から徒歩数分
閉店・閉鎖時期:1980年代中頃
80年代前半はデパートのみならず、スーパーマーケットにもゲームコーナーが設置してあった店舗がありました。今回取り上げたスーパー「マルエツ」(当時は「サンコー」という店名でした)の、上の写真の位置の辺りにもありました。
当時はこの辺りは壁になっていて、壁をえぐるような小さな一角があり、ここにミニアップライト筐体のゲーム機が5、6台置かれておりました。筆者が遊んでいた頃、この近辺で任天堂のゲーム「ドンキーコング」の本物が置かれていたのがここぐらいだった記憶があります。(近隣の店舗では圧倒的に「ドンキーコング」のデッドコピー品「クレイジーコング」のほうが普及していました。)
このゲームコーナーも営業していたのはインベーダーブーム終焉からファミコンブーム黎明期までの間だけで、ゲームコーナー閉鎖後は生花店(店外生花売り場)に変わり、現在では更に改装されて店舗の出入り口に変わっていました。
【ゲーセン】沿線からかなりのゲーセンが消えた「東急東横線」 その1
【うろ覚えデータベース】
店名:ピエロ(2021/6/2訂正:記事を見た方からご指摘いただきました)
場所:東急東横線 新丸子駅から徒歩数分
閉店・閉鎖時期:不明
かつて筆者が一応社会人一年生だった頃の仕事場の近くにあった店でした。
一人で飯食ったあとの昼休みや仕事終わりに立ち寄った店で
「BEAT MANIA」なんかをよくやっていた記憶があります。
現在はカラオケ店になっている模様です。
長年東急東横線を利用してきて感じたのは、本当にこの沿線の駅前から
ゲーセンやゲームショップが消えていったなあ、という事でした。
今後も沿線を通る機会と自分の記憶があったらめんどくさがらず写真とって
このブログ更新するようにします。